健三じいちゃんのアルバイト
健三じいちゃんとは、たまに飲む(昼間から)。
会えばいつも、ニコニコと悠々としている。
そのくせ、妙に多忙なのである。
「わし、週2回、デイサービスに行っとんねん」
そこまでは、わかる。
90歳だもの、デイサービスにも行くであろう。
続けて「そいで週に6日は、アルバイトや」
と言うから驚くではないか。
しかも、夜9時から朝6時まで。半年前に始めた、人生初の水商売だという。
勤務先は、私鉄沿線の、美人ママが営むスナック。
「今年の2月頃やったかなぁ…求人情報のチラシを何気なく見てたら中に“年齢不問”ってのがあったから履歴書をもって面接に行ったんや」
「履歴書ったってあなた、大正10年生まれって書いてあるのよ。年齢不問とは言え、まさかと思ったわ」
とママはその時の驚きを証言している。
(しかし。そのまま健三じいちゃんを雇っちゃったママこそ、まさかである)。
出勤時間は19時半。 杖をついて駅まで歩き、電車に乗って、バイト先に向かう。 21時の開店前に、店内をくまなく掃除するのも健三じいちゃんの仕事だ。 特に得意なのがトイレの掃除。その理由は… 「わし、海軍やったから」。
健三じいちゃんは昭和18年、慶応大学在学中に学徒出陣し、
海軍に入隊した。
船上で大勢の兵士が生活する海軍では、伝染病を恐れ
トイレ掃除を徹底する習慣があったとか。舐めるように便器を磨き上げるのである。
旧制中学時代はサッカー部で鳴らした健三じいちゃん、
運動神経を見込まれて飛行機乗りとなる。昭和20年8月、特攻隊として飛び立つ命が下った。
遺書をしたためて家族に送り、霞ヶ浦航空隊に向かう。その途中、
「上野駅の構内で玉音放送を聞いた」
なんと、紙一重で戦死を免れたのである。
「同級生で死んだやつ、いっぱいおる。
わしだけ、90まで生きるとはなぁ」
サラリーマン時代、銀座や新橋でさんざん飲み歩いてきた。
でもカウンターの中と外では見える風景が違うという。
「お客さんの灰皿を交換するタイミングを
間違えたり、そらもう、毎日、ママには
叱られっぱなしや。
ママは、わしの50歳年下やけれども、
この世界では大先輩やから
教えてもらって、叱ってもらうのが
当たり前」と笑う。
「生きてるうちは、いろいろやってみる。そのほうが楽しいから」 それが戦後66年目の健三じいちゃんの答え、らしい。
清水 | 2012.02.07 15:43
読みました。
コメントを返すには、自分が不適格な人間であることを痛いほど自覚しながらも、これも私流の野暮な気遣い・礼儀ということで。
先生への最高の弔辞です。
真紀と先生との出会い(半生)の紡ぎが、こんなにも真紀の人格と人生形成に決定的な存在者となっていたことに、改めて強い感銘を受けました。
真紀流の聡明な明るさで、その深さを、このようなエスプリのきいた文章で表現ができるなんて、さすが真紀 とあらためて見直しもしました。
やっぱり真紀の天分は、才いろいろあれど散文家・物書きにあると。(ファンの褒め殺しかな?)
「先生」といえば、漱石の『こころ』をすぐ思い出されましたが、真紀の「先生」意趣のテーマ・文体なれど現代版「先生」として楽しく微笑ましくでも大切に読まさせていただきました。
先生にも、教え子からのかけがえのない嬉しい最高の送る言葉となって届いていることでしょう。
あまり不器用な無教養人がこれ以上稚拙な言葉を並べたてても、ぼろが出るだけで嫌悪に陥らせてもいけないので、この辺にしておきます。でも真紀の先生への鎮魂しっかり心に伝わりましたました。
「ずっとそばにいるから」
そんな至極の出会いを導いてくれた先生への素敵な文章有り難う! -合掌-