いつも何かを調べてる

緊縛師のまなざしに愛が宿る《前編》

2011-08-23
「SMのドキュメンタリー番組を作るからリサーチせい」
という命がくだったのは、かれこれ6、7年前のこと。
その後、企画は頓挫し…現在にいたる。
(そういうこと、実に多い。寝かしたままの企画の数々。
この子たちが目覚める日は来るのだろうか。とほほ)

ただ、取材に通った日々の記憶は、妙に色濃い。
最初はSMショップに入るだけでドキドキ。
これは仕事なんだ、と自分に言い聞かせ、エイヤッと入店するも、
売られているムチやロウソクを前に視線がさまよってしまう。
どうにかこうにかSM専門誌を購入し、その編集部に電話をかけてリサーチ開始。
そこから数珠つなぎに女王様や愛好家を紹介してもらい、
取材は順調に進んでいった。
そう、東京のSM界は地下水脈でつながっていて、
そこの住人たちはみんなとても親切なのだった。

なかでも印象深いのがくだんの緊縛師。
緊縛を芸術の域まで高めたと評価される、大巨匠だった。
指定された取材場所は渋谷の雑居ビルの一室。
靴を脱いで、布で仕切られた小さなスペースへと通され、絨毯にじかに座る。
薄暗い照明が、いかにもいかがわしい。
わたし、このまま縛り上げられてしまうのだろうか…。
と、そこへ、巨匠登場。
日本一の緊縛師は60代半ばのおじさんで――
仏様のようなおだやかな表情をしていた。
た、ただものではない。

聞けば、緊縛というのは愛に満ちた世界なのだった。
他人に一糸まとわぬ姿をさらし、縛り上げられることで
日々、武装して世間と向き合っている心は解放される。
巨匠の緊縛はいつも、最後に縄を解くと、やさしく抱きしめて
「よく頑張ったね」と声をかけて終わるのだという。
すると縛られた人は、
「あぁ、頑張っている自分を抱きしめてくれる人がいる」という感慨に、
涙があふれてしまうんだとか。
たぶん主眼は、縛られることではなく、その後に抱擁されることなんだろう。
こつこつとお金をためて年に一度上京し、
巨匠に縛ってもらう(=抱きしめてもらう)ことで
あとの364日のつらさを乗り切っている人もいる由。
これはもう信仰だなぁ。
仏様みたいなお顔をしているのもうなずける。

SMって、人間って、奥深い。
番組にはならなかったけど、この巨匠に会えただけでよかったなぁ。

*****

しばらくして、巨匠の訃報に接した。
仏様がほんとうに仏様になったのである。
ディレクターとふたり、喪服を着てお別れの会に向かった。
(つづく)

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